わたしの考える「ホームスクーリング」

ホームスクーリングについてのお話を聞かせてください、とお問い合わせを受けることが多いので、私の考えるホームスクーリングについて書きます。

ホームスクーリングは自分のやりたい様にやれば良い

ホームスクーリングには色々なやり方があります。家庭で学校のように教える方法や、自分で先生を見つけて会いに行って学ぶなど。ホームエデュケーションと言われることも多いですね。

我が家は子供の興味を大切にしてその興味を探求して学ぶ方法、それを毎日の生活を通して学ぶ形です。私が教材をやらせたり、あれやれこれやれとは全く言いません。東大異才発掘プロジェクトの中邑先生がよくおっしゃる「ほったらかし」、もっと優しく言えば「見守り」でしょうか。敢えて分類するのなら「アンスクーリング」という形ですね。

私は子供の数だけ学び方はあって良いと考えているので、自分にあった学び方でいいと考えています。なので、兄妹でも息子と娘の学び方は全く違います。息子はスタディサプリや漢字ドリルなど勉強的な事もやりますが、娘は一日中絵を書いていたり本を読んだり、学校の勉強的なことは一切やっていません。

たまに「あのオタクはこうしているからうちもこれやらせた方が良いかしら・・・」と、心配される方を見かけると、こんなに狭い世界でも他との比較が出てくるんだと驚きます。せっかく学校という枠を外れて自分流に学んでいるのですから、やりたい事を思いっきりやれば良いと思います。

「なかなかそこまで吹っ切れないです・・・」とよく言われますが、私は不思議と不安やら心配がありません。私の場合はむしろ子供が学校に通っていた頃の方が将来の不安でいっぱいでした。

なかなか吹っ切れないのであれば、無理してホームスクーリングした方がいいなんて事は全く言いません。そのご家庭では学校での学び方が向いているのかもしれまけん。自分が安心できる学び方を自由に選択することが大切だ、というのが私の考え方です。

学ぶこと以前にHappyであること

ホームスクーリングをはじめてからどうしてこんなに不安がなくなったのか、私はよく考えます。

今のところその答えは、私も子供もありのままの自分でいられて、毎日楽しくストレスのない日々を過ごしているからかなと感じます。今がHappyであれば将来悪い人間にはならないと、私には根拠はないけど強い自信があります。子供とも毎日色々なことを対話して、私は心から子供達を信頼しています。子供達と話せば話すほど、子供達の能力の高さというか魂レベルの高さに気付かされます。

ただよく言われるのは「Happyなのはいい事だ、わかった、でもそれだけで将来が大丈夫な保証はない。親が無責任だ。」などなど、他にも色々と言われます。

でも、そういう事を仰る方々は、将来の不安に苛まれていて今がHappyである様には私には見えないんです。今がHappyじゃなかったら、いつHappyになれるの?大学に合格したら?大企業に就職できたら?大きな家を買えたら?と聞きたくなります。

「なんの為に学ぶのか?」という問いは息子が不登校になった時から私はずっと考えています。今の私はその問いに「幸せになる為に学ぶ」と答えます。ありのままの自分をリスペクトし、今ある幸せに気づく能力があれば将来も幸せなはず。ホームスクーリングはその能力を日々磨いているのだと思います。

余談ですが、先日、脳神経科学者の青砥瑞人さんから、Happyだと学習が頭に入って来やすいというお話を聴き、やはり!と思いました。私もまさに実感しています。Happyだと勉強も捗るのです。

親にできることは何か

子供の興味や好奇心に、金銭的・時間的にやれることを全力でサポートするというのが私の役目かなと思っています。

せっかく、敷かれたレールを外れて自分で自分の道を歩き始めた子供達の、新しいレールを私がひいてしまったら結局同じことです。

私はもっともっと勉強して情報を仕入れて子供達にたくさんのオプションを提案する。私も子供も分からない事だらけなのだから、子供とはたくさん対話して一緒に考えて選択する。子供の邪魔をしないで、私も自分の人生を生きる。そんな親でありたいと思っています。

 

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