こんにちは。小沼陽子です。
新型コロナが心配ですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか?
私は開催予定のイベントや朝カフェが中止になり、家で大人しく過ごしております。
娘は、いつもと全く変わらない生活を過ごし、息子は通っている通信制高校の授業がzoomのオンラインに変更され、我が家では息子だけ微妙に変化のある生活を送っております。
●子供を一人でお留守番させること
この度の「学校一斉休校」について、私も色々なことを思いました。
『夫婦共働きなので、小さいお子様を家に一人置いて仕事にいけない』という切実な問題は、我が事のように理解できます。
なぜなら、この問題が、まさに息子が不登校になった時に直面した、私の一番辛かった体験だからです。
結局、当時息子は、小学1年生という、保育園児とほどんど変わらない子供にもかかわらず、朝から晩まで一人で家で過ごすことになりました。
息子は前日までは「明日は学校へ行く」と言うにもかかわらず、朝になって突然「学校へ行きたくない」と言うので、私は昼食の準備もできないまま、息子を一人家に残し、職場へ向かいました。
職場の最寄駅から歩きながら、家に電話して、気持ちが少し落ち着いた息子に「お餅をトースターで焼いて食べて」とか「〇〇をチンして食べて」と、とにかく昼食の心配ばかりしていたのを覚えています。
●学校の大切な役割
当時、私が気づいたのは、私達親子にとって学校の一番の役割は、勉強を教わる場所でも、友達と遊ぶ場所でもなく、
『お昼ごはんも食べられて、安心安全な保育施設である』ということでした。
勉強も友達と遊ぶことも、もちろん、学校の大切な役割だと思います。
しかし、当時の私達のように夫婦共にフルで働く共働き家庭にとっては、学校は保育施設であり、子供が学校に行けない、となると家庭内の運営がガラガラと崩れていくのです。
●多くの人たちが日々ギリギリの状態
今回の「学校一斉休校」の影響を見て、当時のギリギリ状態だった私のことを思い出すとともに、私だけでなく、日本の多くの人達が、日々ギリギリの状態で生活しているんだなあ、と感じました。
こんなにギリギリまで働かないと、私達は生きていけないのだろうか?
人それぞれ、状況は様々だから、なんとも言えないとは思いますが、私はもう、あのギリギリ生活には戻りたくないし、満員電車もイヤ、もっと心に余裕をもって生きていきたい、と今は強く思います。
●フィリピンでの生活を思い出し
昨年、フィリピンのご家庭に親子でホームステイしました。
日本のように、裕福ではないですが、大人数の家族で助け合いながら暮らしていて、全然セカセカしておらず、のんびりとした時間を過ごしました。
停電もしょっちゅうあるし、今世紀最強の台風が来るというニュースにも、全く焦る様子がなく、こんなにのんびり構えていて大丈夫なの?と心配になりましたが、日に日に私もこの生活が心地よくなりました。
「豊かな生活ってなんだろうか?」「私はどんな生活を送りたいのか」「時間の使い方を真剣に考えたい」と思うようなった、貴重な体験でした。
フィリピンではこんな生活ですから、学校が数週間休みになろうと、なんら変わりのない生活を送るのでしょう。
●大切なものを見失わないように
フィリピンの生活が一番良い、とは全く思いませんが、日本は苦しすぎます。
当時の私に、今の私が伝えるとしたら、
「一番大切なのは、自分も含めた家族みんなが心も身体も健康であること。ちょっとくらい仕事を休んでもいいじゃん。仕事はきっと誰かが代わりにやってくれるよ。これまでずっと忙しくしてきたのだから、この機会に子供とゆっくり過ごしてみたら?」
かな。
でも、当時の私には、この言葉は受け入れられないだろうなとも思います。
「仕事を休んだら、会社のみんなに迷惑をかけるし、お客さんにも迷惑をかける。そんなに簡単に休めない!」
そう話す、当時の自分の姿が目に浮かびます。
何が良いのか、私自身まとまっていないのですが、
私は幸運にも、旦那がサラリーマンとして働いてくれているので、私が仕事を辞めても、十分生活できました。
恐れいていた極貧生活に陥ることもなく。
しかし、シングルマザーであったり、色々な事情で仕事を休めない方も多いと思います。
時間にも心にも余裕のできた今、私はそういう方達の力になりたいな、と思う今日この頃です。