『親が楽しむ』の意味

こんにちは。小沼陽子です。

私は「楽しいことを第一優先でやっている」としょっちゅう話しています。
この活動自体も誰から言われたわけでもなく、私が楽しいから続けています。

そうすると良く言われるのが、「楽しいだけじゃ、あとで苦労する」「子供のことを思うなら、親は楽しんでばかりじゃだめ」「そういう親のせいで、子供が成長してから苦労している姿を見てきている」などなどです。

もう、何年も前から言われ続けています。

ずっと言われ続けているので、「私とは考え方が違うのね」程度で、あまり深く考えていなかったのですが、先日、朝カフェメンバーとそんな話をしていたら、「親が楽しむ」がうまく伝わっていないのではないか?という話題になり、なるほどなあ、と思いました。

◆「親が楽しむ」の誤解

「親が楽しんでいる姿をみることが、子供にとっては一番うれしいこと」だと私は思います。

ただ、その大前提に、「親は、子供を愛していて、子供をよく見ていて、子供が困っている時は一緒に考えたり手伝ったりする、そして子供自身も親の愛を十分に感じている状態」があります。

もしかしたら、その大前提がないと思われていたのかな、と思いました。

恐ろしいことに、親がこの大前提だけを思いっきり全面に出すと、子供は自分の幸せを願ってくれているのか、それとも親自身が自分の幸せを願っているだけなのか、わからなくなり、子供は親の愛を十分に感じ取れなくなります。

だから、この大前提にプラスして、親自身も自分の人生を楽しんで、子供だけに目を向けすぎないでいるのが大事なんです。

というのが、私は教育者でもなんでもないので、私の勝手な「哲学」です。

◆自分の両親を見て気づいたこと

そんな事いわれても、やっぱり、子供のことは心配でたまらない。自分のことなんて楽しめない。という方もいるかもしれない。

実際、私もそうでした。子供の心配ばかりしている母親でした。

ある日、私は自分の母から私の子供達のことについて、こんな事を言われました。

「お願いだから、学校だけは行かせて。せっかく優秀な子供なのに、学校にいかなくてもったい。本当にこれで大丈夫なの?」

涙ながらに私に訴える母。
当時、孫の不登校に心も身体もいっぱいいっぱいだった母は私に何度も何度もそう言いました。

そんな母をみながら、私は思いました。

『私の心配をする前に、母には自分の心配をしてほしい。そして、私が困っているときに、私からお願いした事は、何でも手伝ってほしい』と。

私が親に望むのは、「いつでも私を優しく見守っていてほしくて、でも何かあったら何でも手伝ってもらいたい、いつでも私の味方。そして、親には自分の好きな事をやって楽しく元気に過ごしていてほしい」でした。

「うん? 待てよ。ということは私の子供達も私にそうしてもらいたいと思っているのかな?」と気づいたのです。

◆子供のために親が楽しむ

私は自分の感情を遠くから眺めながら、「口出しはされたくないけど、困ったらなんでも手伝って」って、ほんと私って勝手だなあと思いました。

一方で、自分の子供達をみると、同じように勝手ではあるけど、そんな子供達が本当にかわいいし愛おしい。

私は子供が何を言おうと、世間が何を言おうと、子供の味方でいる。
私がそれを自分の親に望むように。

そして、私自身も自分の人生をめーいっぱい楽しむ!
私がそれを自分の親に望むように。

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